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染料植物園に行ってきました。

高崎市にある染料植物園に行ってきました。

軽い気持ちで来たけど、めっちゃ広かった。 #高崎 #群馬


Tokoda Chihokoさん(@tokoxo)が投稿した写真 -


すごく広かったです。
通常の博物館というのを想像していましたので、ひとつの大きな公園まるごとが染料となる植物を集めた植物園になっているとは思ってもおらず。
今は冬でしたので森も見通しが良かったのですが、次は草木萌える季節に行かなくてはいけませんね。

今回目当てだったのは冠位十二階などの昔の日本の衣服の「色」を自分の目で見てみることでした。
高貴な色と聞いておはおりましたが紫は本当に美しい。
YOUTUBEで竹内睦泰先生の動画を拝見した際に「紫の紐は竹内家にしか許されていない」というお話をされていたことを思い出しました。
やはり高貴な色。個人的に好きな色は緑なのですが、ああして並べると、やはりその気品は格が違いますね。

こちらの展示色のすごさは、過去の古文書の記述に従って、同じ配合で山崎青樹さんが染められたものが展示してあるとのこと。
古代の方が用いていた色と全く同じ、というわけにはいかないでしょうが(植物自体が古代とはおそらく多少変わっているはずですので)、ほぼそれに近い色になっているということです。
植物自体は、たとえば栄養価やその他の成分も、近現代と比較してすら変化していっています。なので色もきっと、多少変わってくることもあるでしょう。
ですが、現代で再現できるほぼ完全なもの、ということにはなるのではないでしょうか。

また、古代から中世の日本人の「色」につける「名称」についても感嘆しました。
細やかな違いを見て取り、違うものだと判じ、違う名前を付けること。
以前にこんな話を聞いたことがあります。
子供に同じ色鉛筆を渡し、ひとつのグループには「赤、黄色」などの色の名前を教える。
もう片方のグループは、たとえば「黄金色、山吹色、薄黄色、卵色」など、同じ「黄色」でも複数の色の名前を教える。
すると、子供が描く絵には、それが如実に反映されるとのこと。色の名前を数多く知っている子供のほうが、色彩豊かな絵を描く傾向が高いとのことです。
つまり、色の名称の多さは、過去の日本人の色彩感覚の豊かさを表しているとも言えます。

今の時代、ファストファッションのお店で「黒、青、赤、白、灰色、ベージュ」から色を選んで服を買う。けれどほんの百年二百年前の日本人は、ただ一口に「青」なんて言いませんでした。青ひとつとっても、藍、薄藍、浅葱、納戸、露草、鉄紺……何十という細やかな名称で呼び分けていたのです。
今のように多くの衣類を気軽に買うような時代ではありませんでしたが、その心に広がる色と文様の無限の組み合わせを持ってして衣食住の「衣」に向き合う。精神的にはとても豊かだったのだろうと思います。

また、着物の色合わせについても実物で展示されていましたので、うっとり見入っておりました。


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世界遺産伝道師協会に入会しました。

3日間の養成講座を終え、無事、世界遺産伝道師協会に入会できました。
やったあ!
最終日のテストは、同期の中で最高点だったそうです(自慢)。ちなみにTさんと同点トップでした。Tさんは養蚕のことも製糸のことも何もかも初めて知るとおっしゃっていたのに、トップ。講座の最初のほうから、頭の良い方だなとは察していましたが、あっという間に全部覚えてしまったということですよね。すごいです…。

ちなみに養成講座でどんなことを学ぶのかというと。
①世界遺産とは。
②絹遺産とは。
が大きく2つ。
世界遺産についてや文化財保護法のことなど、さまざまな条約や法律についてや、各々の団体等の取り組みなどなど。
そして、登録された世界遺産についての詳細と、養蚕から製糸までの工程についての詳細。
後者の養蚕については、蚕糸技術センターの皆様に教えていただいた内容が頭にありましたので、復習のような気持ちで取り組めましたが、法律やら国連の組織のことやら、その辺りはわかっていないことだらけで…。

3日間はとっても濃密なスケジュールでしたので、私のようなたるんだ身と心の持ち主にはいささかハードな行程でした。
今はかなり心身ともにぐったりとしています。
でもこれで晴れて伝道師のお仲間になれました。
これから後、できる限り活動に参加していきたいと思っています。

3日間いろいろと教えてくださった理事の皆様、本当にありがとうございました!




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読書 赤れんが ものがたり

赤れんがものがたりを拝読しました。




富岡製糸場の歴史がとても分かりやすく書かれていて、あっという間に読み終えられました。
当時の文化や風俗も知れて、工女さんの生活を垣間見ることができました。
富岡日記に書かれていた内容もたくさん盛り込まれておりましたが、挿絵付きなのでイメージしやすいです。
皇后陛下の行啓のご様子や、フランス人の礼服の描写にときめくのは、やっぱり私が女性目線で読んでいるからでしょう。
当時の人たちの生活も豊かそうで、素敵だなぁって思いました。



ところで本日は、昨日「羊の工房パオ」さんで購入したコマと真綿を使って糸を紡いでみたのですが。
パオのお姉さんからさんざん言われていたに関わらず、すぐに手が痛くなっちゃって。
すっかり指が筋肉痛です。
でも糸紬って楽しいですねぇ!
もっとたくさん紡ぎたいです!



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富岡どんと祭り

10月15日、富岡どんと祭りが開催されました。
私は踊り流しにて、初の参加。



たくさんの山車がひしめき合う周りを、お囃子に乗せて踊りまくってきました。
いろんな人とおしゃべりできて、お酒もおいしかったです(^v^)

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高橋純一さんのお米を食べて

精米したてのお米を、明日の朝ご飯用に炊いて、おにぎりを作り、少しつまみ食いをしたら。

 旨すぎてなかなか止められずに小さいおにぎりになりました。
 これが、米の本気か。
 旨すぎる。

 小学生のころ、秋田のおばあちゃんが一度だけ大阪の家に来ました。
 おばあちゃんは
「なんもお構いしなくていいよ。私は米さえあればいい」
 と言ってました。
 でもあんまり食べてなくて、子供ながらに不思議。
 田舎に帰った後は、秋田からコメが送られてきました。
 母、それを見て
「うちのごはん、まずかったんやろうなぁ」
 て言ってました。

 理屈では、そりゃそうだろうってわかります。
 大阪のマンションの8階に住み、マンション屋上のタンクにためられた大阪の水道水で炊いた、精米してからどれくらい経ったかわからんような米を、料理にこだわりが一切ない母が炊飯器で適当に炊いたもの、そりゃまずいだろうと。

 しかし、今日、
「なるほど大阪の米はまずかった」
 と心底から納得でした。

 米ってオイシイ。
 日本人、すごい。
 明治維新より前の日本人はほとんどみんながこんな旨い米を日常的に食べていたんだろう(今のように会社勤めとか工場勤務とかそういうのはアンマリないはずなので)と思うと、昔のほうが豊かであったという思いをさらに強くするのでした。

 昔の日本人は、MADE IN JAPAN、手づくり、安心国産無農薬、そんなもの”だけ”で暮らしていたのですよ。衣食住、すべてですよ。
 その豊かさ、今の世に復刻させたい。
 米を食べて、改めて、そのことに思いをはせるのでした。

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